Tabi Tales
Cocktail Party

大城立裕沖縄

大城立裕『カクテル・パーティー』ゆかりの地をめぐる — 沖縄・嘉手納と宜野湾

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沖縄初の芥川賞受賞作『カクテル・パーティー』の背景にある米軍基地の実際の規模を、今なお存在感を消せない現地で体感する。

カクテル・パーティー

カクテル・パーティー

大城 立裕

本土復帰前の沖縄。主人公の「私」は、米軍基地内のカクテル・パーティーに招かれる。パーティーの主催者はアメリカ人のミラー。招かれたのは、中国語会話のグループの中国人弁護士、新聞記者。それは和やかな国際親善の雰囲気で終始した。その夜、M岬で主人公のひとり娘が米兵に犯された。犯人告訴の助力の為に仲間を訪ねた「私」はミラーの職業や意外な事実を知る。事件をきっかけに国際親善の仮面は暴かれ、秘められた傷痕がえぐり出された。第57回芥川賞受賞の表題作ほか3編。

『カクテル・パーティー』の冒頭のパーティーは、拍子抜けするほど心地よい。気の合う者同士らしい近所づきあいの中で、他愛のない会話が交わされ、中国人も沖縄の人間もアメリカ人も、まるでこの友情には代償などないかのように言葉を交わしている。だが語り手の娘が米兵に暴行される事件が起き、あれほど心地よく見えた友情のひとつひとつが、他愛のない会話とはまったく違う意味で「支えになるかどうか」を試されることになる。

彼が加害者たちを相手に起こそうとする裁判は、その温かさの下にどれほど法的な保護が存在しなかったかを暴き出す。この中編小説が、ただの抗議小説以上に読み手を落ち着かなくさせる理由がここにある——大城は、語り手自身が沖縄人なのか本土の日本人なのか、最後まで読者に特定させない。後半になると語り手への呼びかけは二人称に変わり、まるで占領というものが、人がアイデンティティすら安定して持ち続けることを許さないかのようだ。友情は、決して保護と同じものではなかった。この作品はそう突きつけてくる。

占領下の沖縄を、内側から描いた小説

大城立裕は1925年、沖縄本島中部の中城村に生まれた。沖縄戦を経験し、1972年の本土復帰までの27年間に及ぶ米軍統治を、実際に生き抜いている。それは『カクテル・パーティー』が舞台とする世界そのものだ。1967年に発表されたこの作品は、沖縄出身の作家として初めて芥川賞を受賞した。

物語は、米軍住宅地区内で開かれる親善パーティーの場面から始まる。その表面上の和やかさこそが、物語が進むにつれて崩れ去っていくものだ。ここからの旅は、架空の住所を巡る"聖地巡礼"ではない——「ここがカクテル・パーティーの家だ」と断定できる建物は沖縄のどこにもない。この旅がたどるのは、作品が読者にすでに理解されているものとして前提している、現実の条件そのものだ。

立ち寄り先1: 道の駅かでな — 小説が当然の前提としている基地の規模を目の当たりにする

道の駅かでなの展望フロアから見た嘉手納飛行場
写真: 耕太郎 / Wikimedia Commons

小説の舞台として、特定の建物が確認されているわけではない。ただ、『カクテル・パーティー』を理解するということは、米軍が沖縄をどれほど占有しているかを理解することでもある。それは、作品が読者にとって既知の前提として扱っている現実であり、実際に目にするまでは、多くの旅行者にとって実感しにくいものでもある。

嘉手納町にある道の駅かでなは、稼働中の米軍基地を直接見渡せる、日本で唯一の公共施設だ。4階の展望フロアからは、日本最大の米軍基地・嘉手納飛行場がまっすぐ視界に飛び込んでくる。

3階の展示室では、戦前・戦中・戦後を通じた嘉手納町の歴史が紹介されている——今なお町の土地の約82%が基地に占有されているという事実も含めて。数字だけならさらりと読み飛ばしてしまえる。だがそれは、いま自分が立っているこの町の大部分が、法的にはこの町のものではないという意味だ。視界いっぱいに滑走路が広がる展望フロアに立つと、その意味が単なる数字ではなく、初めて体に落ちてくる。

立ち寄り先2: 佐喜眞美術館(宜野湾) — 基地に奪われ、取り戻された土地

沖縄県宜野湾市の佐喜眞美術館
写真: 663highland / Wikimedia Commons

佐喜眞美術館が建つ土地は、戦前、館長・佐喜眞道夫氏の家系が所有していたものだった。それが接収され、今の普天間飛行場の一部となり、何十年もの間、基地の敷地内に取り込まれたままだった——それは、この中編小説の登場人物たちが日常として生き、めったに口に出さない、あのゆるやかで当たり前の収奪と同じものだ。

佐喜眞氏は何年もかけて、その土地を少しずつ取り戻す交渉を重ねた。そして1994年、かつて丸ごと呑み込まれていたその小さな土地に、基地のフェンス線の内側で、美術館を建てた。

一家は、土地を少しずつ取り戻した。そして、殺し合いが終わった日の夕陽を見るための階段を建てた。

作品を見る前に、まずこの経緯にこそ立ち止まる価値がある。美術館の中心作品は、丸木位里・丸木俊夫妻による大型常設壁画『沖縄戦の図』。二人は『原爆の図』でも知られる。じっくり時間をかけて向き合うべき作品であり、足早に通り過ぎるようなものではない——この壁画が描く戦争が誰にも与えなかった時間を、せめてここでは自分に与えてほしい。

伝えられるところでは、館内の屋上への階段は、沖縄戦の終結を悼む「慰霊の日」である6月23日の夕陽に合わせて設計されたという。その符合が正確かどうかはさておき、この階段からは普天間飛行場の滑走路がまっすぐ見渡せる——奪われた土地と、取り戻された土地が、同じ視界の中に収まっている。

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旅の実用メモ

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著者について

大城立裕は、戦後の沖縄で27年間続いた米軍統治のもとで育った。1967年、『カクテル・パーティー』で沖縄出身作家として初めて芥川賞を受賞している。

大城立裕にゆかりの地