谷崎潤一郎『痴人の愛』ゆかりの地をめぐる — 横浜・山手の異人館街
谷崎潤一郎『痴人の愛』の背景にある、1920年代の東京〜横浜の世界を辿る。作者自身が、小説と同じ「西洋かぶれ」の日々を実際に過ごした山手の丘も訪ねる。
『痴人の愛』(1924〜1925年)は、谷崎潤一郎の小説です。技師の譲治(じょうじ)が、15歳のカフェの女給・ナオミを引き取り、自らの理想とする「西洋化されたモダンな女性」に育て上げていきます。しかしやがて、自ら作り上げたその存在に、譲治自身が飲み込まれ、支配されていく物語です。これは悲劇であると同時に、それ以上に的確な例はないというほどの、執着の喜劇でもあります。そして、非常に具体的な時代と場所に深く根ざした作品でもあります。第一次世界大戦直後の東京と横浜。ジャズ、社交ダンス、西洋風のファッションが、日本の都市生活の姿を作り変えつつあった時代です。この小説は、日本語に新しい言葉——「ナオミズム」——をもたらしました。作品自体がからかいながらも、同時に広めることにもなった、モダンガールの美意識を指す言葉です。
作者自身の人生から生まれた小説
谷崎は、この世界を想像だけで作り上げたわけではありません。実際にその中で暮らしていました。1921年、谷崎は横浜・本牧の海沿いにある、西洋風のバーの隣家を借りて住んでいました。1922年には、さらに丘を上った山手——横浜の旧外国人居留地に引っ越しています。谷崎自身の言葉によれば、この時期、社交ダンスを始め、家具や服装も西洋風に変えていったといいます。これはまさに、小説の中で譲治がナオミに押し付けていく変貌そのものです。谷崎の妻の妹にあたる小林せい子は、ナオミの実在のモデルとして広く挙げられている人物です。1923年9月の関東大震災によって、谷崎のこの時期の生活は突然終わりを迎え、関西への転居を余儀なくされました。この小説は、その翌年、関西に移り住んだ谷崎が、この時期を振り返りながら書いたものです。
物語そのものの中では、譲治とナオミの世界は東京中心部から少しずつ外へと広がっていきます。ナオミが最初に女給として働く、浅草のカフェや「オペラ」劇場。ナオミの変貌が最も色濃く表れる、銀座の(架空の)カフェ「エルドラド」を中心としたダンスホール文化。二人が最初に暮らす、郊外・大森の小さな西洋風住宅。そして物語終盤では、舞台は横浜の旧外国人居留地にある、はるかに大きな西洋館へと移ります。1920年代の浅草のカフェや、銀座のダンスホールは、今日、特定できる場所としては何一つ残っていません。しかし、物語の横浜の部分は違います。
立ち寄り先1: 横浜・山手 — 谷崎がこの物語を生きた丘
山手は、1860年代から横浜の外国人居留地として指定されてきたエリアです。今も、小説の舞台であり谷崎自身が暮らした、まさにその時代の西洋風住宅が数多く保存されています。これらの建物群は「山手西洋館」と総称され、無料で一般公開されています。
その中心にあるのが「エリスマン邸」です。1925〜1926年、スイスの絹貿易商フリッツ・エリスマンのために建てられました。設計は、日本のモダニズム建築の父とも呼ばれる、チェコ系アメリカ人の建築家アントニン・レーモンドです。暖炉のある応接間、リビングとダイニングを兼ねた部屋、庭を見渡すサンルームがあり、小さなカフェも併設されています。
- アクセス: 元町・中華街駅(みなとみらい線)6番出口から徒歩約8分、またはJR石川町駅南口から徒歩約13分です。
- 知っておきたいこと: 入館無料、開館時間は9:30〜17:00、毎月第2水曜が休館日です。近くにある山手111番館や外交官の家も、それぞれ小さなカフェを併設しているため、のんびりと半日を過ごすのに向いています。丘の下に広がる元町商店街も、足を延ばす価値があります。自称「ハイカラ」愛好家だった谷崎自身も、この通りを心躍らせながら歩いたことをエッセイに書き残しています。
- 近くの見どころ: さらに丘沿いに歩けば、横浜外国人墓地や港の見える丘公園があります。見学の時間があれば、あわせて訪れるとよいでしょう。
旅の実用メモ
- 訪問に適した時期: 山手の庭園は、春が特に心地よい季節です。建物内部の見学自体は、一年を通じて楽しめます。
- 拠点にする街: 東京都心・横浜のどちらを拠点にしても問題ありません。山手へは、東京都心から電車で約30分です。
- 言語について: 英語表示も充実しています。横浜の定番観光ルートの一つです。
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