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谷崎潤一郎関西大阪

谷崎潤一郎『春琴抄』ゆかりの地をめぐる — 大阪・道修町

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谷崎潤一郎『春琴抄』の背景にある、実在の大阪の薬種問屋街を辿る。今も物語の舞台を石碑で伝える神社もあわせて訪ねる。

春琴抄

春琴抄

谷崎潤一郎, 高橋真巳

大阪道修町の薬商の次女・春琴は、幼いころに失明し、盲目の三味線奏者となる。その春琴に限りなく献身的に仕える丁稚の佐助。二人を通して描かれる耽美主義の極致。

顔に傷を負った春琴。その姿を見た瞬間、佐助は自ら針を取り、自分の両目を突く。生涯の付き人であり、弟子であり、静かな影であり続けてきた佐助が選んだのは、盲目になることだった。最後に覚えている春琴の顔を、傷を負う前のあの顔のままにしておくために。谷崎潤一郎が1933年に発表した中編小説『春琴抄』(しゅんきんしょう)の中で、もっとも衝撃的な瞬間だ。そしてこの瞬間、物語は盲目の琴・三味線の名手の話であることをやめ、献身がどこまで押し進められると、まったく別の何かへと変質してしまうのかを描く話へと変わる。

谷崎は物語全体を、『鵙屋春琴伝』という古い伝記的な小冊子をそのまま語り直したもの、という体裁で組み立てている。出典の信頼性に疑問を投げかける、脚注のような挿入まで添えて――もちろんこれは小説上の仕掛けであって、実在する資料ではない。ただ、あまりに説得力があったため、発表後、読者から谷崎のもとに「春琴の墓はどこにあるのか」と尋ねる手紙が届いたと伝えられている。まるで、あの小冊子が最初から本物だったかのように。この旅がたどるのは、その一本の糸だ。伝記ではない。だが一つの実在する大阪の通りに、あまりに精緻に根ざしていたせいで、人々がそれでも探しに出かけてしまったフィクションの話。

実在の問屋街を舞台にした架空の小冊子

谷崎は、『春琴抄』が自伝的な作品であると主張したことはない。それでも、実在する具体的な場所に、物語をしっかりと根ざしている。物語の中で、春琴は道修町の薬種問屋・鵙屋(もずや)の次女として紹介される。道修町は、単にもっともらしく響くだけの架空の地名ではない。江戸時代から、大阪の実際の薬種問屋街であり、全国の薬局に商品を供給する問屋が軒を連ねてきた。そして今もその役割を担い続けている。

春琴という人物にも、部分的に実在のモデルがいたのではないかと指摘する研究者もいる。関西で邦楽を学んでいた谷崎自身の経験を根拠に挙げる説だ。ただし、実在のモデルの具体的な中身については研究者の間でも定まっておらず、あくまで一つの見方として受け止めておきたい。

立ち寄り先1: 少彦名神社(道修町) — 物語を伝える石碑

大阪・道修町の少彦名神社
写真: WolfgangMichel / Wikimedia Commons

道修町の氏神である少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)は、今もオフィスビルが立ち並ぶ街の中に鎮座している。薬の神様を祀る神社で、中国の医薬の神・神農にちなみ、地元では「神農さん」の愛称で親しまれている。境内の入口近くには、『春琴抄』冒頭の一節を刻んだ石碑がある。神社が根ざすこの土地と、谷崎が描いた架空の鵙屋一族とを、物理的に直接結びつけるものだ。

石碑の前に立つと、この小説が読者に仕掛けたトリックが、急に腑に落ちてくる。ここは実在する神社で、小説が描いたとおりの実在する薬の町にあり、その本の言葉そのものが、鳥居からほんの数歩のところに石として刻まれている。かつて読者を「春琴の墓もどこかに本当にあるはずだ」と信じ込ませたのと、まさに同じ種類の重なりだ。フィクションと場所の境界が、ページの上だけでは味わえない形でにじんでいる。

すぐそばには小さな「くすりの道修町資料館」もある。開いていれば覗いてみる価値はあるが、来る理由はあくまで神社とその石碑だ。

立ち寄り先2: 旧小西家住宅(道修町) — 物語が想像した商家

大阪・道修町の旧小西家住宅
写真: ignis / Wikimedia Commons

鵙屋の家そのものと確認された建物はない。ですが、神社から一区画離れた場所にある「旧小西家住宅」は、道修町でその世界を最も直接的に感じられる建物だ。1903年、小西家の薬品商——現在のコニシ株式会社の前身——のために建てられた。この通りに残る数少ない商家建築の一つで、戦災の空襲と1995年の阪神・淡路大震災の両方をほぼ無傷で乗り越え、現在は国の重要文化財に指定されている。

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旅の実用メモ

出かける前に、この物語がどう始まったのかを思い出しておきたい。一人の作家が、あまりに説得力のある出典をでっち上げてしまい、読者は実在しない墓を探しに出かけた。道修町のあの石碑の前に立てば、なぜ読者がそれを信じてしまったのか、すぐに納得できるはずだ。

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著者について

谷崎潤一郎は、『痴人の愛』に描いた暮らしの多くを、自らも実践していた作家である。1920年代初頭、横浜の洋風地区・山手に移り住み、後に作中人物に与えたのと同じ社交ダンスや洋装を自ら楽しんだ。1923年の関東大震災をきっかけに、関西地方へ移り住むことになる。

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