
夏目漱石『吾輩は猫である』ゆかりの地をめぐる — 東京から愛知県へ
『吾輩は猫である』の実在の家、界隈、そしてモデルとなった猫の墓を辿る。東京の静かな裏通りから、300km離れた愛知県に移築された明治期の邸宅まで。
一匹の猫が、自分の居場所でもない家に上がり込む。女主人に何度も追い出されかけながら、それでも居座り続ける。それが『吾輩は猫である』の冒頭で、そしてほぼそのまま、夏目漱石の身に実際に起きた出来事でもあります。1904年、一匹の野良の子猫が東京・千駄木にあった漱石の借家に入り込み、そのまま出ていきませんでした。
この小さな家庭内の攻防から生まれたのが、『吾輩は猫である』(1905〜1906年連載)です。名前を持たないその猫が語り手となり、飼い主――漱石自身をモデルにした、気難しい英語教師――が書斎に集まる友人たちと哲学談義を交わす様子を、最初から最後まで観察し続けます。近代日本文学でも屈指の奇妙で愉快な一冊であると同時に、小説にしてはめずらしく「本当」の話でもあります。猫はこの物語が世に知られたあとも数年生き、やがて死んだとき、家族はきちんと墓を建てました。その墓は今も残っていて、この旅は最終的にそこへたどり着きます。
本ガイドが辿るのは、この猫の実際の足跡です。すべての始まりとなった東京の裏通り、物語が静かに"事実"へと変わる墓、そしてずっと遠く、猫が最初に迷い込んだその家そのものまで。
立ち寄り先1: 旧漱石住居跡(東京・千駄木/根津) — 「猫の家」
漱石が1903年から1906年まで暮らした家です。実際の猫も、この小説も、ここから生まれました。ただし、この家は元の場所にはもう建っていません。後に移築されています(立ち寄り先3を参照)。
文京区向丘2-20-7に残っているのは、一つの石碑です。小説家・川端康成の揮毫によるものと伝えられ、漱石を敬愛する人々の手によって建てられました。説明板や、小さな猫の像もあわせて設置されています。
ここは公式な公園というより、静かな住宅街の裏通りです。切符売り場も土産物屋もなく、家々の合間にひっそりと石碑が立っているだけ。それでも、小説が実際に生まれた、まさにその土地です。猫が語り手の小説にふさわしい、この何気なさが。
- アクセス: 千駄木駅(東京メトロ千代田線)から徒歩約10分、または本駒込駅(南北線)から徒歩8分です。
- 知っておきたいこと: 見学できる建物は残っていません。実際にその場所に立ってみたいという読者のための、5分程度の寄り道です。狭い路地と古い木造の店構えが残る、根津・千駄木エリアの散策とあわせて訪れるのがおすすめです。
立ち寄り先2: 漱石山房記念館と猫の実際の墓(東京・早稲田)

漱石は1907年、千駄木から早稲田の家に引っ越し、1916年に亡くなるまでそこで暮らしました。後期の代表作の多くは、この家で書かれています。時期でいえば『吾輩は猫である』よりも後になりますが、ここには千駄木の跡地にはないものがあります。すべての始まりとなった、実際の猫の墓です。
猫が亡くなったのは1908年9月、小説がすでに世に知られたあとのことでした。漱石一家はきちんと猫を弔い、庭に小さな墓標を建てました。比喩ではなく、本物の猫のための、本物の葬いです。
その最初の墓標は戦争を生き延びられませんでした。空襲で失われ、1950年代になって今の石碑として再建されたものです。木立の間にひっそりと立つ、目立たない存在で、知らなければ通り過ぎてしまうほどです。
一匹の猫に対する、ある家族の本物の悲しみ。それがたまたま小説を語る猫だったというだけの理由で、一世紀以上ものあいだ残り続けている。
しばらくその場に立ってみると、不思議な気持ちになります。ただ運よく正しい家に迷い込んだだけの一匹の猫のために、100年以上にわたって守られ、再建されてきた墓。だからこそ、この旅全体の中でも、もっとも胸を打つ立ち寄り先のひとつになっています。
「猫塚」は現在、新宿区立漱石山房記念館の隣にある漱石公園内に立っています。記念館は旧居跡に2017年に開館し、漱石の生涯と作品を紹介する常設展示を無料で公開しています。
- アクセス: 早稲田駅(東京メトロ東西線)1番出口から徒歩約10分です。
- 知っておきたいこと: 記念館は月曜休館です(月曜が祝日の場合は翌平日休館)。常設展示は無料で、特別展のみ有料です。公園と猫塚は屋外にあり、開園時間内であれば自由に見学できます。
立ち寄り先3: 明治村(愛知県犬山市) — 実際の家

もう少し足を延ばす余裕がある読者にとって、これは日本国内でこの小説に関連する、最も本格的な実物資料と言えるでしょう。千駄木にあった実際の家そのものが、後年、名古屋郊外の「明治村」――明治期の建築を保存・展示する野外博物館――へと移築されたのです。
この家には、漱石が住む前に小説家・森鴎外も短期間暮らしていました。そのため正式には「森鴎外・夏目漱石住宅」として保存されています。
内部には漱石の書斎があり、机や筆記用具、火鉢が展示されています。そのまま移築された部屋そのもの――『吾輩は猫である』が実際に書かれた場所であり、同じくこのシリーズで紹介している『坊っちゃん』や『草枕』もここで書かれました。訪れる前に知っておきたいのは、展示されている調度品自体は、彼が去った当時のままの姿ではなく、書斎の雰囲気を伝えるために丁寧に再構成されたものだということ。つまり本物の部屋に立ちながら、机の上に見えているのは再現された光景、ということになります。
- アクセス: 名古屋から私鉄・名鉄の特急で犬山駅まで30分弱。駅からは路線バスで博物館の入口まで向かいます。ドア・トゥ・ドアで1時間弱を見込んでおくとよいでしょう。本数がそれほど多くないため、事前に時刻を確認しておくのがおすすめです。名古屋中心部からの直行の高速バスも運行しています。
- 知っておきたいこと: ここは軽く立ち寄れる場所ではなく、本格的な博物館です。入館料は大人数千円ほどで、開館時間は季節によって変わるため、訪問予定を立てる前に最新の時間を確認してください。明治村全体を見て回るには、最低でも半日は見ておきましょう。漱石の家は、敷地内に移築された数十棟の明治建築の一つにすぎません。
旅の実用メモ
- 訪問に適した時期: 東京の立ち寄り先は、季節を問わず訪れられます。明治村は屋外にあり、丘陵地に広がっているため、真夏よりも春・秋の方が過ごしやすいでしょう。
- 拠点にする街: 立ち寄り先1・2には東京が拠点になります。明治村を加える場合も、宿泊は不要で、名古屋中心部から気軽に日帰りできます。
- 言語について: 漱石山房記念館と明治村は、どちらも英語表示が整っており、海外からの読者にも訪れやすい場所です。一方、千駄木の石碑は観光地というより近隣の小さな案内板に近く、説明文が日本語のみのこともあります。念のため翻訳アプリを用意しておくと安心です。
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