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夏目漱石関東中部東京愛知

夏目漱石『吾輩は猫である』ゆかりの地をめぐる — 東京から愛知県へ

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『吾輩は猫である』の実在の家、界隈、そしてモデルとなった猫の墓を辿る。東京の静かな裏通りから、300km離れた愛知県に移築された明治期の邸宅まで。

大活字本シリーズ 夏目漱石⑥-1 吾輩は猫である

大活字本シリーズ 夏目漱石⑥-1 吾輩は猫である

夏目 漱石

夏目 漱石著 A5判 408ページ 並製 価格 3,500円+税 ISBN978-4-86251-434-9 シリーズ第6巻『吾輩は猫である』は、夏目漱石の長編小説であり、処女小説。「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。」という冒頭の有名な一節。教師である苦沙弥先生の家に居ついた猫である「吾輩」の視点で、苦沙弥先生のところに集う様々な人々の人間模様が風刺的に描かれている。 目次 吾輩は猫である 【1】 一 二 三 四 著者プロフィール 夏目 漱石 (ナツメ ソウセキ) 1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

一匹の猫が、自分の居場所でもない家に上がり込む。女主人に何度も追い出されかけながら、それでも居座り続ける。それが『吾輩は猫である』の冒頭で、そしてほぼそのまま、夏目漱石の身に実際に起きた出来事でもあります。1904年、一匹の野良の子猫が東京・千駄木にあった漱石の借家に入り込み、そのまま出ていきませんでした。

この小さな家庭内の攻防から生まれたのが、『吾輩は猫である』(1905〜1906年連載)です。名前を持たないその猫が語り手となり、飼い主――漱石自身をモデルにした、気難しい英語教師――が書斎に集まる友人たちと哲学談義を交わす様子を、最初から最後まで観察し続けます。近代日本文学でも屈指の奇妙で愉快な一冊であると同時に、小説にしてはめずらしく「本当」の話でもあります。猫はこの物語が世に知られたあとも数年生き、やがて死んだとき、家族はきちんと墓を建てました。その墓は今も残っていて、この旅は最終的にそこへたどり着きます。

本ガイドが辿るのは、この猫の実際の足跡です。すべての始まりとなった東京の裏通り、物語が静かに"事実"へと変わる墓、そしてずっと遠く、猫が最初に迷い込んだその家そのものまで。

立ち寄り先1: 旧漱石住居跡(東京・千駄木/根津) — 「猫の家」

漱石が1903年から1906年まで暮らした家です。実際の猫も、この小説も、ここから生まれました。ただし、この家は元の場所にはもう建っていません。後に移築されています(立ち寄り先3を参照)。

文京区向丘2-20-7に残っているのは、一つの石碑です。小説家・川端康成の揮毫によるものと伝えられ、漱石を敬愛する人々の手によって建てられました。説明板や、小さな猫の像もあわせて設置されています。

ここは公式な公園というより、静かな住宅街の裏通りです。切符売り場も土産物屋もなく、家々の合間にひっそりと石碑が立っているだけ。それでも、小説が実際に生まれた、まさにその土地です。猫が語り手の小説にふさわしい、この何気なさが。

立ち寄り先2: 漱石山房記念館と猫の実際の墓(東京・早稲田)

東京都新宿区の漱石公園にある猫塚
写真: Asanagi / Wikimedia Commons

漱石は1907年、千駄木から早稲田の家に引っ越し、1916年に亡くなるまでそこで暮らしました。後期の代表作の多くは、この家で書かれています。時期でいえば『吾輩は猫である』よりも後になりますが、ここには千駄木の跡地にはないものがあります。すべての始まりとなった、実際の猫の墓です。

猫が亡くなったのは1908年9月、小説がすでに世に知られたあとのことでした。漱石一家はきちんと猫を弔い、庭に小さな墓標を建てました。比喩ではなく、本物の猫のための、本物の葬いです。

その最初の墓標は戦争を生き延びられませんでした。空襲で失われ、1950年代になって今の石碑として再建されたものです。木立の間にひっそりと立つ、目立たない存在で、知らなければ通り過ぎてしまうほどです。

一匹の猫に対する、ある家族の本物の悲しみ。それがたまたま小説を語る猫だったというだけの理由で、一世紀以上ものあいだ残り続けている。

しばらくその場に立ってみると、不思議な気持ちになります。ただ運よく正しい家に迷い込んだだけの一匹の猫のために、100年以上にわたって守られ、再建されてきた墓。だからこそ、この旅全体の中でも、もっとも胸を打つ立ち寄り先のひとつになっています。

猫塚」は現在、新宿区立漱石山房記念館の隣にある漱石公園内に立っています。記念館は旧居跡に2017年に開館し、漱石の生涯と作品を紹介する常設展示を無料で公開しています。

立ち寄り先3: 明治村(愛知県犬山市) — 実際の家

愛知県犬山市の明治村に移築された森鴎外・夏目漱石住宅
写真: Tomio344456 / Wikimedia Commons

もう少し足を延ばす余裕がある読者にとって、これは日本国内でこの小説に関連する、最も本格的な実物資料と言えるでしょう。千駄木にあった実際の家そのものが、後年、名古屋郊外の「明治村」――明治期の建築を保存・展示する野外博物館――へと移築されたのです。

この家には、漱石が住む前に小説家・森鴎外も短期間暮らしていました。そのため正式には「森鴎外・夏目漱石住宅」として保存されています。

内部には漱石の書斎があり、机や筆記用具、火鉢が展示されています。そのまま移築された部屋そのもの――『吾輩は猫である』が実際に書かれた場所であり、同じくこのシリーズで紹介している『坊っちゃん』や『草枕』もここで書かれました。訪れる前に知っておきたいのは、展示されている調度品自体は、彼が去った当時のままの姿ではなく、書斎の雰囲気を伝えるために丁寧に再構成されたものだということ。つまり本物の部屋に立ちながら、机の上に見えているのは再現された光景、ということになります。

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旅の実用メモ

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著者について

夏目漱石は、近代日本文学を代表する作家として広く知られている。彼の小説の舞台には、実際に暮らし教鞭を執った場所が数多く重なる。四国の湯屋から、漱石自身が眠る東京の墓地まで、その広がりはさまざまだ。

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