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夏目漱石『吾輩は猫である』ゆかりの地をめぐる — 東京から愛知県へ

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『吾輩は猫である』の実在の家、界隈、そしてモデルとなった猫の墓を辿る。東京の静かな裏通りから、300km離れた愛知県に移築された明治期の邸宅まで。

『吾輩は猫である』(1905〜1906年)は、名前を持たない一匹の飼い猫が、章を追うごとに、自分の飼い主を観察していく物語です。飼い主は、漱石自身をモデルにした、気難しい英語教師です。書斎に集まっては哲学談義を交わす友人たちの姿も、猫の目を通して描かれます。

この猫は、架空の存在ではありません。1904年ごろ、実際に一匹の野良の黒い子猫が、東京・千駄木にあった漱石の借家に迷い込んできました。そして飼い主は、本当にその猫について書き始めたのです。本ガイドでは、物語の舞台となった東京の界隈と、さらに足を延ばして、愛知県の博物館に移築された実際の家の両方を辿ります。

立ち寄り先1: 旧漱石住居跡(東京・千駄木/根津) — 「猫の家」

漱石が1903年から1906年まで暮らした家であり、実際の猫も、この小説もここから生まれました。ただし、この家は元の場所にはもう建っていません。後に移築されています(立ち寄り先3を参照)。

文京区向丘2-20-7に残っているのは、一つの石碑です。小説家・川端康成の揮毫によるもので、1971年に漱石を敬愛する人々の手で建てられました。説明板や、小さな猫の像もあわせて設置されています。ここは公式な公園というより、静かな住宅街の裏通りです。それでも、小説が実際に生まれた、まさにその土地です。

立ち寄り先2: 漱石山房記念館と猫の実際の墓(東京・早稲田)

漱石は1907年、千駄木から早稲田の家に引っ越し、1916年に亡くなるまでそこで暮らしました。後期の代表作の多くは、この家で書かれています。この時期は『吾輩は猫である』よりも後になりますが、ここには『吾輩は猫である』にはないものがあります。物語の着想源になった、実際の猫の墓です。

「猫塚」は、漱石一家が飼っていたペットたちのために建てた小さな記念碑です。実際の猫が亡くなった1908年9月から数えて13回忌にあたる1920年に初めて建てられましたが、第二次大戦の空襲で失われ、1953年に再建されました。現在は漱石公園内に立っており、隣には2017年に旧居跡に開館した「新宿区立漱石山房記念館」があります。漱石の生涯と作品を紹介する常設展示は、無料で見学できます。

立ち寄り先3: 明治村(愛知県犬山市) — 実際の家

もう少し足を延ばす余裕がある読者にとって、これは日本国内でこの小説に関連する、最も本格的な実物資料と言えるでしょう。千駄木にあった実際の家は、1964年に名古屋郊外の「明治村」へ移築されました。明治期の建築を保存・展示する野外博物館です。この家には、漱石が住む前に小説家・森鴎外も短期間暮らしていたため、正式には「森鴎外・夏目漱石住宅」として保存されています。

内部には、漱石の書斎が再現されており、実際に使っていた机や筆記用具、火鉢が展示されています。ここは『吾輩は猫である』が実際に書かれた部屋であり、同じくこのシリーズで紹介している『坊っちゃん』や『草枕』もここで書かれました。

旅の実用メモ

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